- 死の意味損失と自己本位の死
- 我々の生は、合理化されているが意味づけの消去された世界へと投げ出される
- 死後の不安が人を宗教へと向かわせしめる大きな原動力である
- プロテスタントは「救いの確信」を求めた⇨「神々の争い」
- 死は社会の衰弱を感じさせる衝撃として突如降りかかる
- 「自殺論で指摘している近代社会の問題点」⇨原初形態の神=社会とは対照的な人々を死へと誘う近代社会のあり方
- 意味喪失後の世界を生きていくということ
- マクロの死、ミクロの死
- 社会システム理論 vs 意味学派
- 制度化された個人主義=道具的活動主義
- 自分の快楽・利益のためだけではなく、良き社会建設のために自己判断と責任で自発的に貢献する
- 閉ざされた人間の死
- 文明化の過程という社会全体を覆う歴史的過程のうちに死を位置付けた(エリアスの社会学)
- ex) 肉の食べ方など
- 死はもはやいつどんな時暴力的に襲いかかってくるかわからないようなイメージではなく、医学的にコントロール可能な、先送りすることの可能なものとして見做されるようになった。 ⇨死を「遠い彼方」にあるもの
- 自動的な自己制御措置が人間の内部に形成され、人間の動物的側面に対する嫌悪感が高まるにつれて、死もまた抑圧の対象となっていく。
- 理性が高まるにつれて、死あるいは死体は病院などの「社会生活の舞台裏」へと隔離されるようになる。
- 現代社会は死を排除し、抑圧し、隠蔽し、隔離する社会である。
- 文明化の進化に伴って人間が「閉ざされた人間」として主体化されていく(エリアスの自我論、関係論) ▶︎「死にゆくものの孤独」
- 「人はもはや、我が家で、家族の者たちの真ん中で死んではいかず、病院で、しかもひとりで死ぬのです」by アリエス
- 文明化の過程という社会全体を覆う歴史的過程のうちに死を位置付けた(エリアスの社会学)
- モダニティの死、ポストモダニティの死
- リオタール「大きな物語の終焉」
- クロークルーム共同体
- 入れ替わりが激しく、時間が経つ中で流行や評判が変化していくにつれね、共同体も次々と消滅していき、同時に新しい共同体に取って代わる現象
- 「死のタブー化」再考
- 死の公的な不在、私的な現存
- 死が呼び起こす実存的不安を公的領域が処理しきれない以上、死は公的領域から排除されて、公的な眼差しの及ばない私的領域へと隔離される▶︎死の私化 byメリー and シリング
- 死はモダニティに存在する再帰的な自己モニタリング・システムによってコントロールできる領域を超えたところにあるもの by ギデンスの再帰性
- 死のポルノグラフィティ
- 日常生活の中で出会う自然氏が覆い隠されタブー視されていることが、死をイメージ化しようとする欲望を生み出し、かくしてメディアで「死のポルノグラフィティ」が密かに興奮と快楽をもって享受されることになる。
- 情報空間では死が、そこに商品としてのイメージあるいは情報が投入され、消費される場となっている
- 「死の不可逆性を生の持続性の物語へと転換させる」
- 死の公的な不在、私的な現存
- 死の共同性、生の関係性
- 他者の声に耳を傾けることをつうじて自らの視野を拡大していくこと**「自己相対化と自己拡張の連動」**という動的過程そのものの内にこそ真理が宿る by マンハイム
- 共同性のように相互の同質性を前提とするのではなく、相互の異質性、あるいは相互の不可知性を前提として、なおかつ成立している関係を「生の関係性」と呼ぶとすれば、こうした関係性は生死の境を隔てても存続しうる。
- 相互の信頼は所与のものではなく、関係の中で培っていかねばならないものとなる。by ギデンズ (純粋な関係性)
- ▶︎私的生活の民主化
【No.20|死と死別の社会学 社会理論からの接近】
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